名取正澄の末裔

先日お伝えした紀州忍者「名取正澄」。(先日の記事はこちら)

その末裔の方が来和されました。

実は、今年のゴールデンウィークに研究者のアントニー・クミンズ氏来日の際に、和歌山在住の末裔の方々は当寺へお集まりいただいたのですが、その際に遠方のため、都合が合わずに来寺いただけなかった方が今回おいでになりました。
(ゴールデンウィークの時の様子は、また後日記事にします。)

新たに発見された、名取家そして正澄の墓石の前にて撮影。
名取家ゆかりの人物。(左:日野氏、右:石垣氏)

 

海外から名取正澄の功績を讃えるお手紙、そして史跡として保存してほしいという要望書が多数届いていますので、そちらを末裔の方々にご覧いただきました。

今後、名取正澄については、発見された位牌、墓石の保存と、名取正澄についての案内板を境内に設置する事を計画しております。

紀州忍者という神秘的な人物ながら、紀州藩の軍人として、そして多数の著書から見える功績から、新たな和歌山ゆかりの偉人として広く認知していただけるよう発信していきたいと思います。
紀州忍者の忍法で、少しでも和歌山が活性化すれば・・・(笑)

また追々に「名取正澄」について、ご報告いたします。

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地獄の業火をも防ぐ火除地蔵

 

毎月24日は地蔵の日。

水子子育地蔵さんの右隣に、地蔵・庚申堂があります。

向かって左側が火除地蔵さんです。

火事、盗難、災難除け、交通安全や火にまつわる安全を祈願できます。

この火除地蔵さんは、大昔、和歌山市日赤医療センター裏の長町公園付近で、地元の方がお祀りしていたお地蔵様でした。

故あって、戦前より当寺でお祀りしているのですが、この火除地蔵さんをお祀りしていたために、和歌山大空襲の際、近隣の民家、寺院は焼失したのですが、当寺は戦災を免れたという逸話が残っています。

とても御利益のあるお地蔵様ですので、是非皆さんお参りしてください。

 

おもちゃが目立ってますが、これは水子参りに来られた方のお供え物です。

一定期間こちらでお供養して、亡くなられた水子さん、そして親御さんに災難無く、安らかにお過ごしいただけるように祈念しています。

 

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紀州忍者 「名取三十郎正澄」 -序-

今年4月、このブログを始めてまだ間もない頃の話です。

一本の電話がありました。

楚々とした女性の声、しかしながらその語気には強い意志を感じるものでした。

「そちらのブログを拝見しました。そこに名取家と記載されていますが・・・」

この記事です。

紀州藩の軍学者にして、紀州忍者「名取三十郎正澄」が当寺に眠っているか?という問い合わせでした。

恥ずかしながら、私は「名取三十郎正澄」という人物を知りませんでした。

もちろん名取家については、当寺の檀徒でありますし現在も供養を継続されているという、ごく当たり前の認識は持っておりましたが、その先祖にそのような人物がいるかどうかということについては知る由もありませんでした。

楚々とした声の主は、翻訳家の南快枝氏でした。

 

日本三大忍術伝書というのがあります。

「萬川集海」  「忍秘伝」  「正忍記」 とされています。

「萬川集海」は甲賀(伊賀本も有)、「忍秘伝」は伊賀、そして「正忍記」が紀州となります。

この正忍記を書いたのが、「名取三十郎正澄」だということです。

そして、その「名取三十郎正澄」は未だその墓所が発見されていないということでした。

果たしてその墓所が、当寺にあるのか?

続きは次の機会に。

 

このような本が過去には出版されていました。(現在絶版)

「忍術伝書-正忍記-」 新人物往来社刊 中島篤巳解読・解説

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